2007年8月号

ビジネスパーソンに人気のMBA.KALSでもたくさんの受講生がMBAをめざしています。志望動機は「わが社の抱える課題を解決するため」「自分の職業人生を考え直したい」「キャリアチェンジや転職のきっかけづくり」など、目指すものは人によってさまざまです。
今号ではMBAで学びながら自らの職業人生を再考し、キャリアチェンジを実現したビジネスマン Aさんにお話を伺いました。

〜Aさんプロフィール〜
早稲田大学政治経済学部卒業。外資系食品会社に約3年勤務した後、一橋大学MBA入学。大学院修了後の2004年4月からIT系企業に勤務。現在、新事業の立ち上げなどに取り組んでいる。

■MBAを目指すまで

私は大学卒業後、外資系の食品会社でトレーダーの仕事をしていました。仕事内容は大きく分けて2つありました。ひとつは自社の工場で生産した商材を売ることです。もうひとつは自社以外の商材や原料の供給をにらみ、需要のありそうなところへ売り込むことでした。この会社にはニチメンや伊藤忠など商社出身の方が多く、私はまず先輩のまねをすることでトレーダーの仕事を覚えていきました。仕事はおもしろかったです。会社に入るまでは、店頭に並んだ食品しか目にすることがありませんでしたが、仕事をつうじてその上流にさかのぼり、食品流通全体の流れをみることができました。また、ものの売り買いについて学ぶこともできました。しかし、2003年ころからBSEや□蹄疫の大流行でマーケットが大荒れし、「食品業界は構造的に厳しい」と感じるようになったのです。そこで浮上してきたのがMBAへの進学でした。私がMBAの存在を意識したのは、食品会社での人間関係がきっかけです。さきほどお話したようにこの会社は外資系で、当時のCEOはまだ30代でした。CEOの周りにはアメリカのビジネススクール卒業者が集まっており、私は彼らと業務上のやりとりをする機会が多かったのです。役員たちはいろいろなことをよく知っていました。私は感心しながら、「彼らの知識の源泉はビジネススクールにあるのでは?」と思うようになったのです。結局、マーケットの乱れや社内の風土に違和感を覚えながら3年ほど働き、その後MBAへの進学を決意しました。

■進学の準備

進学を決意してから3,4ヵ月後に、私は会社を辞めました。もう食品業界には戻らないことを決意しての退職でした。辞める前は引継ぎなどで忙しかったため、週末を利用して研究計画書を書きました。そのほか論文のスクールに通い、数ヶ月かけて論文の書き方のノウハウを学びました。英語については、会社で英文メールをやり取りしたり資料を作ったりしていたので、受験のために特別な準備はしていません。受験先は一橋、早稲田、慶鷹のMBAです。一橋を選んだ理由は、著書を読んだことのある先生が多く、本でしか知らない先生方に接してみたいと考えたからです。また、国立で学費が安いのも大きな魅力でした。

■MBAでの学び

一橋のMBAに入学してみると、20代後半から30代前半の院生が集まっていました。ある程度キャリアを積み、「このままでいいのか考えたい」という人が多かったように思います。私は入学当時26歳でした。1年目の授業はグループワークが中心でした。グループごとにプレゼンテーションし、その後全員でディスカッションするのです。さまざまな分野の職業経験をもつ同級生とのディスカッションからは、得るものがたくさんありました。2年目は、論文の作成と就職活動にカを注ぎました。グループワークは自由参加になりましたが私は時間を見つけて参加していました。

MBAでは、事例などについても学びますが、理論についても学びます。企業の実務が具体的であるのに対し、経営字の理論は抽象的です。大学院で学ぶ理論は、企業の末端=自分の仕事だけをしている場台には、あまり役に立たないかも知れません。しかし、企業の方向性を決めなければならないときには、先人のアカデミックな思考を知っているかそうでないかによって、決断の質や内容が大きく変わってくると思います。

MBAは私に、自分を見直す機会を提供してくれました。尊敬できる同級生や先生に出会えたことは財産になり、これからの人生を豊かにしてくれると思います。反面、いったん仕事を辞めて学校へ戻るということにはリスクも伴います。自分がビジネススクールで学んでいる間に同期は働いていて、着実にキャリアを積み重ねています。MBAで学んだことを企業がどう評価するかも分からないのです。結局、ビジネススクールで学んだことをどれだけ生かせるかは、自分の実力にかかっているのではないでしょうか。

■就職活動

日本では、ビジネススクールを修了した人間の労働市場が確立していません。私は実務経験があったので、中途採用扱いになりました。就職活動を始めたのは、院を修了する年の1月からからです。自分で闇雲に働くのでなく転職を支援してくれるエージェントを利用しました。
今はMBAの修了者も増え、事情が変わっているかも知れせんが、私が活動した2004年当時は、MBAの肩書きが就職に役立ちました。特に老舗の大企業で、人事の書類選考を突破するのに効果的でした。しかし面接に進み、実務の厳しさを知る人と話す場面になると、MBAホルダーであることはほとんど評価されないようでした。

就職活動をするにあたり、私は成熟している市場を避けたい、若いリーダーのいる会社で働きたいと考えていました。いくつか内定をいただいた中から現在の会社を選んだ理由は、まさにこの条件をクリアしていたかです。加えて、トップの人間的な魅力も決断の決め手になりました。実際に入ってみて、ブランドが確立された企業とこれから成長する企業はまったく違うことを実感しました。伝統的な企業では、純血主義であったり、同期のネットワークが大切だったりします。新しい企業には本当にいろいろな人がいますが、同じ方向をみて走ろうとしています。真剣な人材二一スがあるのは、やはりこれから成長する企業の方ではないでしょうか。

■現在の仕事とこれからの展望

いまの会社に入るとき、「技術的な知識はなくても大丈夫」といわれたのですが、入ってみてそうはいかないことが分かりました。入社以来ずっと技術者が読むような本でネットワークの勉強をしつつ、現在は新規事業(新会社)の立ち上げなどに関わっています。勤務時間はフレックス、原即として土日は休みです。仕事が少ない時期には早く帰りますが、忙しい時期には長時間の残業もします。仕事のしかたは自由で、結果を出していれば細かいことは言われません。しかし、そのぶん責任の重さも感じています。IT業界は変化が激しく、イノベーション(技術革新・経営革新)が起こりやすい世界です。いま私は通信イノベーションの中心にいることを実感しています。これからもずっとイノベーションの中に居続けられればと考えています。

 
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